旭川女子高生殺害事件

中学バスケ部キャプテンから「サンロクのリコ」へ——現職警部補との不倫まで、転落の軌跡をたどる

旭川女子高生殺害事件

2026年5月25日、旭川地裁で内田梨瑚被告(23)の裁判員裁判が始まりました。2024年4月、北海道旭川市で17歳の女子高生が橋から突き落とされ殺害された「旭川女子高生殺害事件」の犯人として逮捕・起訴されたのが当時21歳の内田梨瑚です。

逮捕当時から「どんな育ち方をしたのか」「なぜこんな事件を起こしたのか」という疑問の声が絶えません。本記事では、内田梨瑚被告の生い立ちから家族・経歴・事件の動機・初公判の争点まで、判明している情報を網羅的にまとめます。

内田梨瑚の基本プロフィール

項目内容
氏名内田梨瑚(うちだ りこ)
年齢23歳(2026年5月現在)
出身北海道旭川市
職業無職(逮捕時)
逮捕時年齢21歳

内田梨瑚被告は逮捕時21歳・無職。旭川市を拠点に生活しており、「サンロクのリコ」として地元の繁華街で知られていました。

内田梨瑚の生い立ち——小学生時代

「ヒーローのような存在」だった少女。小学時代の内田梨瑚は活発で面倒見がよく、クラスの女子の相談役として「ヒーローのような存在」と評されていました。 この時点だけを見れば、誰もが「いい子」と感じる人物像です。しかし同時に、この頃から別の顔も持っていました。

小学生からサンロク街に出入り

内田梨瑚は4人家族の一般家庭に育ちながら、小学生の頃から歓楽街に出入りする環境にありました。 旭川の繁華街「3・6丁目(サンロク)エリア」への出入りは、小学生の頃から始まっていたとされています。この環境が後の人格形成に大きな影響を与えたとみられています。

内田梨瑚の生い立ち——中学・高校時代

中学ではバスケ部のキャプテンを務めた一方で、いじめや問題行動も目立つようになっていました。 スポーツでリーダーシップを発揮する「真面目な一面」と、問題行動という「もうひとつの顔」が混在していたのが中学時代の内田梨瑚です。

内田梨瑚は旭川市内の中学校を卒業後、隣町の美瑛町にある公立高校に進学しています。高校名は公式には公表されていませんが、高校時代の制服が写っている写真の特徴から、進学先は美瑛高校である可能性が非常に高いとみられています。

内田被告が卒業文集に綴った言葉として「どう、挽回するか」「私は限界を知らない」という言葉が報じられており、当時の内田梨瑚の内面の一端をうかがわせています。

内田梨瑚が高校を卒業したのか中退したのかについては、証言が分かれています。「高校中退後は地元から遠く離れた九州・福岡県で暮らしていたこともあるようだ」という報道がある一方で、「高校にはちゃんと毎朝起きて通っていました。『高校を卒業できる』と本人から聞いたときは頑張ったなーって思いましたから」という知人の証言もあります。


内田梨瑚の家族構成

父親は会社経営者と見られ高校中退後、しばらくは父親が経営する会社の仕事を手伝っていたとされます。 内田梨瑚の父親は入れ墨をしているという情報もあります。ただしこれは確認情報ではなく、事実として断定できる情報ではありません。

また、内田梨瑚は4人家族の一般家庭に育っています。家族構成の詳細については公表情報が限られており、確認できる範囲での記述にとどまります。

内田梨瑚の経歴——高校後から事件まで

化粧品販売員・飲食店勤務など複数の職を転々としていたことが知人の証言で確認されています。事件の約1年前まで、福岡県に移住して生活していた時期があります。当時は毎晩メンズパブに入り浸り、「男と飲んでます」といった内容をSNSに投稿していたとされます。2023年3月頃に旭川へ戻ったとみられています。

そして、旭川市内の繁華街・3・6丁目エリアで「サンロクのリコ」として知られるようになりました。地元の若者グループの中で存在感を持ち、複数の「舎弟」と呼ぶ人物を従えていたとされます。事件当時は無職の状態でした。

現職警部補との不倫が発覚

被害者を残忍な方法で殺害しただけでなく、地元の刑事と不倫関係にあったことで、世間を驚かせました。 内田梨瑚被告の逮捕後、旭川中央警察署の現職警部補との不倫関係が発覚し、警部補は訓戒処分を受けました。

現職の警察官との不倫関係は、逮捕直後から世間に大きな衝撃を与えました。捜査する側の警察官と犯罪者という関係が、事件の闇をさらに深くしたといえます。


事件の発端——SNSのトラブルから殺人へ

事件の発端は、被害者の村山月さんがSNSに内田梨瑚容疑者がラーメンを食べている画像を無断で使っていたことでトラブルが始まりました。その画像は監禁容疑で逮捕された16歳少女がSNSで投稿したもので、それを村山月さんが転載しただけでした。それを知った内田梨瑚容疑者は4月18日夜にSNSを通じて、村山月さんを怒鳴りつけ、金品を恐喝した疑いがもたれています。

内田梨瑚容疑者は、村山月さんに電子マネーで10万円を送金させますが、金銭の授受が上手くいかなかったため、村山月さんを「道の駅るもい」に呼び出して、車に乗せるなどして監禁し旭川市などへ連れ回しました。その間、路上や駐車場、走行中の車内で、村山月さんを殴ったり蹴ったりなど暴行を加え、監禁時間は約4時間に及んだとみられています。

事件後、内田被告は女子高校生の携帯電話を車で轢いて破壊し、旭川市内の川に捨てました。内田被告と共犯の女は、事件当時には別々の場所にいたかのようなメッセージを交換し、警察の捜査には黙秘するといった旨の口裏合わせをしました。しかし事件から5日後、内田被告は緊急逮捕されました。

初公判の争点——弁護側の戦略とは

内田被告が初公判で「橋から落としていない」と殺人罪を否認した背景には、明確な弁護戦略があるとみられています。殺人罪の法定刑は「死刑または無期懲役、もしくは5年以上の懲役」であるのに対し、傷害致死罪は「3年以上の有期懲役」にとどまります。罪名が変わることで量刑を大幅に軽くできる可能性があるため、証拠が積み上がる中でも否認し続けることに合理性があるのです。

懲役23年が確定した共犯者は「両手で肩甲骨のあたりを押した、私の前から一瞬で消えた」と証言しています。一方、内田被告は「自力で戻った、立ち去った後に落ちた」と主張しており、2人の証言は真っ向から対立しています。


判決は6月22日——どんな結末が待つのか

内田梨瑚は4人家族の一般家庭に育ちながら、小学生の頃から歓楽街に出入りする環境にあり、中学時代にはいじめ、高校時代には性的問題行動が目立つようになっていました。高校中退後は職を転々とし、やがて違法薬物の売人・売春・SNSを使った恐喝を繰り返す生活に。そして2024年、SNSのトラブルから面識のない17歳の命を奪いました。

「ヒーローのような存在」と呼ばれた少女が、なぜ人の命を奪う主犯になったのか——その答えは一つではなく、環境・人間関係・経歴が複雑に絡み合っています。判決は2026年6月22日。裁判員がどんな結論を出すのか、注目が集まっています。